「親に感謝しなさい」「親孝行しなさい」
世間では当たり前のように言われるこの言葉が、深く突き刺さることがあります。
- 毒親に育てられ、感謝や親孝行の気持ちがどうしても持てずに悩んでいる方
- 自分の親を「毒親」と呼ぶことに抵抗がある、またはそう呼ぶ人に嫌悪感を抱く方
- 身近な人から「毒親」に関する相談を受けたことがある方
この記事は、そんなあなたに向けて書いています。
これは、かつて「毒親」と呼べるかもしれない親との関係に苦しみ、「親に感謝できない自分」を責め続けていた私の体験談です。私の経験が、あなたの心の重荷を少しでも軽くするヒントになれば幸いです。
※注意:この記事は、特定の親子関係を断定したり、医学的・心理学的な診断やアドバイスを行うものではありません。あくまで個人の経験と考えを綴ったものです。
そもそも「毒親」とは?
まず、「毒親」という言葉について確認しておきましょう。
毒親(どくおや、英: toxic parents)は、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親に対して、1989年にスーザン・フォワード (Susan Forward) が作った言葉である。学術用語ではなく、スーザン・フォワードは「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指す言葉として用いた。毒親に関する議論は、親の「自己愛」問題が主な共通点であり、自己愛的な親(英語版)について語られることが多い。児童虐待該当行為をしたり、子供の自立を妨げる親。
引用元:毒親 – Wikipedia
学術用語ではないものの、「子どもの人生を支配し、害悪を及ぼす親」を指す言葉として使われています。
私が親から受けた「忘れられない言葉」
私自身の経験を少しお話しさせてください。これらは、私の心に深く刻まれた出来事です。
「お父さんと子どもができちゃって、下ろすのは可哀そうだから、あなたを産んだの」
母から何度も聞かされた言葉です。父は当時、私を産むことに反対していたとも聞きました。命を肯定しているようで、「本当は望まれていなかった」と突きつけられているような感覚でした。自分の存在意義そのものを揺るがす、残酷な言葉だと感じています。
「あなたは家族の中で浮いている」
中学生の時、いじめに遭い、家で一人悶々と悩んでいた私に母が言った言葉です。学校という居場所を失いかけている時、最後の砦であるはずの家族からも突き放されたような、深い孤独を感じました。「どこにも私の居場所はないんだ」と思いました。
「あなたが良くても、学校側が同じ思いを他の子にさせたらどうするの?」
高校生の時、クラスに馴染めず修学旅行に行かないと母に伝えた時の言葉です。母は激怒し、「学校に乗り込む」と言い出しました。私が必死で止めても、母の怒りの理由は「世間体」や「他の子どものため」。私の辛さではなく、外に向けられていました。「私の気持ちはどうでもいいの?」と、悲しくなりました。
「お前だけ幸せにはさせない」「働いて家に金を入れろ」
大学進学を希望した私に、父が言った言葉です。父自身、経済的な理由で進学を諦めた過去がありました。しかし、その辛さを子どもにぶつけ、「お前も苦しめ」と言うのは、親としての責任を放棄した、明らかな精神的暴力だと感じました。
これらの出来事に共通しているのは、
- 親自身の感情や価値観が優先されていること
- 私の気持ちや状況に寄り添う姿勢がないこと
- 言葉や態度で、私の存在価値を深く傷つけていること
これらは「一度きりの失言」ではなく、繰り返し行われました。当時の私にとっては、それが「当たり前」の日常でした。
「辛い」と感じられなかった子供時代
不思議なことに、子どもの頃は、これらの出来事を「辛い」「悲しい」とはっきり認識していませんでした。今思えば、それは無意識の防衛反応だったのかもしれません。あまりにも辛い状況下で心が壊れないように、感情に蓋をし、麻痺させていたのではないかと感じます。
大人になった今、当時の状況を「明らかにおかしかった」と客観的に見れるようになりました。そして、傷ついていた過去の自分の気持ちに、「今の自分」がようやく寄り添えるようになってきたのです。
誰にも相談できなかった孤独:「親は子どもを愛しているもの」という呪縛

親からの扱いで、進学など具体的な問題に直面した時、相談できる大人は周囲にいました。しかし、返ってくる言葉は決まっていました。
「子どもを一番大切に思わない親なんていないよ」
一見、温かい言葉に聞こえるかもしれません。しかし、当時の私にとって、この言葉は非常に残酷でした。なぜなら、その言葉の裏には、こんな無意識の“圧力”を感じたからです。
共感や安心ではなく、「私の現実は否定されている」「私がおかしいのだろうか」と、さらに孤独感を深める結果となりました。
でも、今なら少し違う視点も持てます。
その言葉を心から信じて言える人は、きっとご自身が子どもを大切に育ててきた証拠なのでしょう。だからこそ、「親は子どもを愛し、大切にするものだ」という理想を疑いなく信じられるし、そう信じたい世界に生きているのだと思います。
現実は一つではありません。
だから、私が感じた「あの言葉は辛かった」という思いは、決してわがままや、ねじ曲がった見方ではなく、自分が体験した現実を真っ直ぐに受け止めたからこそ感じた“事実”なのだと、今は思えます。
親に感謝できない自分が、何よりも辛かった

「産んでくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」
そう思えない自分が、ずっと嫌いでした。なぜ感謝できないのか?それはきっと、自分が生まれてきたこと、生きていることに、心から幸せを感じられていなかったからだと思います。
親からの否定的な言葉や扱いは、「自分はここにいていいのだろうか?」「生きている意味なんてあるのだろうか?」と、自分の存在意義の根幹を揺るがします。そうなると、
- 日々の小さな出来事を楽しむこと
- 自分自身を肯定すること
- 生まれてきた意味を見出すこと
といった、「生きることの根っこ」が深く傷つき、とても苦しくなります。「こんな思いをさせた親」と、「それでも自分を産み育てた親」という事実の間で、心が引き裂かれるような感覚でした。
「感謝」への視点が変わったきっかけ:事実と感情の切り離し

転機は、社会人になってからの経験でした。
仕事でどんなに努力しても、組織の事情や評価基準によって、正当に評価されない、報われない、という経験をしました。その時の「頑張りを認めてもらえない悲しみ」は、私が親に対して感じていた複雑な感情と、どこか似ている気がしたのです。
彼らが私を「大切に思っていたか」は別として、私を産み、育てるために「労力」をかけてくれたことは事実です。
その「労力」という事実に目を向けず、「愛されなかった」という感情だけで親への感謝を拒むのは、私が職場で感じた「努力を評価されない悲しみ」を、今度は私が親に対してしているのと同じではないか?
自分の痛みを知ったからこそ、他者(この場合は親)の立場や労力を想像できるようになった、そんな感覚でした。
この気づきから、私は「親が私をどう思っていたか(感情)」と「親が私のためにしてくれたこと(事実・労力)」を切り離して考えるようになりました。
そして、「大切に思われていたかはわからないけれど、産んでくれたこと、育ててくれた労力に対しては感謝しよう」と思えるようになったのです。
これは「親のため」ではなく、これ以上「感謝できない自分」に苦しまないために、私自身が見つけた新しい視点でした。「愛されたかどうか」を基準にするのではなく、客観的な事実に目を向けることで、少し心が軽くなったのです。
そして今、私が選んだ道:「親は親、私は私」という自立
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あれから十数年が経ち、両親は離婚しました。父は再婚し、貸したお金も返済されないまま、今は連絡先すら知りません。母には恋人ができ、同棲しています。
私は8年以上前に上京しましたが、母が私に会いに来たことは一度もありません。私が地元に帰ることは時々ありますが、実家と呼べる場所はもうなく、ホテルに泊まります。正直に言うと、形だけの親孝行にも疲れ、ここ2年ほどは帰省していません。飛行機代や宿泊費の工面も簡単ではないからです。
以前の私なら、「お盆と正月くらいは帰らなきゃ」「親不孝だと思われたくない」と、世間体や罪悪感に縛られていたかもしれません。
でも、今は違います。私は、私自身の心と生活を優先しています。
なぜなら、「親は親の人生、私は私の人生」だからです。
毒親に育てられたからといって、自分まで不幸な人生を選ぶ必要はありません。「私が、私自身を幸せにするんだ」と決めた時、本当の意味で親から精神的に自立できたのかもしれません。
これは、親を切り捨てたという意味ではありません。むしろ逆で、親との関係で辛い思いをしてしまう自分、物理的な距離を取ることを選んだ自分を、ありのままに受け入れられるようになったということです。
もし、あの時、「子どもを一番大切に思わない親なんていない」と言った大人に今会えたら、私はこう尋ねるでしょう。
「あなたにとって、お子さんの“一番の幸せ”とは何ですか?」と。
きっと、こう答えるはずです。
「その子自身が、幸せに生きていること」だと。
だから、私が私自身の幸せのために、時に親と距離を置き、自分の人生を大切に生きることを選んだのは、決して間違いではないと信じています。
最後に
もしあなたが今、かつての私と同じように、毒親との関係や「感謝できない自分」に苦しんでいるなら、伝えたいことがあります。
あなたは何も悪くありません。
辛いと感じることも、感謝できないと感じることも、当然の感情です。
無理に「良い子」でいようとしなくていい。無理に感謝しようとしなくていい。
まずは、傷ついてきた自分自身の心に寄り添い、「辛かったね」「よく頑張ってきたね」と認めてあげることから始めてみてください。
そして、あなたの人生は、あなたのものです。
親の価値観や期待に縛られず、あなたが心から「幸せだ」と思える道を、あなた自身のペースで歩んでいってください。
この記事が、その一歩を踏み出すための、小さな勇気となれたら嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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